「 加山雄三 」実家は金持ち!両親(父・母)は有名俳優で先祖は岩倉具視

「 加山雄三  」

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管理人
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そこで今回は、以下のポイントについて詳しく調べてみました。

調査内容

  • 「 加山雄三  」 プロフィール
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加山雄三 プロフィール

加山 雄三 さんのプロフィールは以下の通りです。

顔写真
加山雄三-自宅_1
タレント名加山 雄三
生年月日1937年4月11日
出身神奈川県 横浜市
職業歌手
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プロフィールトピック

加山 雄三は、日本のミュージシャン・俳優。1937年、神奈川県横浜市生まれ。職業はタレント業のほか、音楽家としてはギタリスト、ピアニスト、ウクレレ演奏者として、このほか画家としても活動している。

 

慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、1960年に東宝と専属契約を結び芸能界入りする。1961年7月に主演映画「若大将」シリーズがスタートし、挿入歌「夜の太陽」で歌手デビュー。1965年にシングル「君といつまでも」が大ヒットを記録し、その後も1966年リリースの楽曲「お嫁においで」や1976年発売のアルバム「海 その愛」など、多数のヒット作を発表する。弾厚作名義で作曲家としても活躍し、自身の楽曲のほか、日本テレビ系「24時間テレビ『愛は地球を救う』」のテーマソング「サライ」などの作曲を担当する。

加山雄三 実家 金持ち

【写真】実家は芸能一家である加山雄三さん

管理人
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実家は、金持ちでした。

 

加山雄三さんの実家(池端家)は、お金持ちでした。

 

両親は、戦前・戦後の映画界で活躍した芸能一家でした。

 

幼少期から音楽や芸術に囲まれた恵まれた環境で、何不自由なく育ったと本人が語っています。

 

一つづつ、紹介します。

 

自宅は茅ヶ崎にある豪邸

【写真】幼少期の加山雄三さん

実家(池端家)は、茅ヶ崎にある豪邸でした。

 

海岸近くに敷地面積500坪超の家を新築して、そこで家族で暮らしていたそうです。

 

当時の基準でかなりの資産家層だったようです。

 

慶応高校・慶応義塾大学卒業

【写真】高校時代の加山雄三さん

加山さんは、慶應義塾高校・大学の卒業生です。

 

芸能界で活躍する慶應ボーイの代表格として知られています。

 

私立の名門校に通っていた点も、実家が経済的に裕福であったことの証です。

 

なお自由な校風に憧れて、慶應義塾高校を選択したそうです。

パシフィックホテルの倒産で巨額の借金を背負う

【写真】パシフィックホテル茅ヶ崎

両親は、新たな収入源の確保もあり、レジャーホテル(パシフィックホテル茅ヶ崎)の経営に乗り出します。

 

1965年にホテルが開業し、経営は軌道に乗っていた時期もありますが、1970年に破綻します。

 

運営会社が倒産し、大きな借金(負債総額23億円)を背負うこととなります。

 

連帯保証人となっていた息子・加山さんが、多額の借金を返済していた時期もあります。

 

実家自体は「金持ち」として知られる家系ですが、大きな借金を抱えて凋落したこともありました。

 

 

※パシフィックホテルは、桑田佳祐さんがボーリングで通っていた場所で有名。父親が店を出していたとの情報もあります。

 

加山雄三 両親 先祖 がすごい

管理人
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家系は、著名人が多くいる一族です。

 

加山雄三さんの家系図は、すごいです。

 

両親は有名俳優で、先祖には歴史上の偉人(岩倉具視)がいます。

 

一つづつ、紹介します。

 

父親は上原謙(人気俳優)

加山雄三と父・上原謙

父は、上原謙です。

 

本名は、池端清亮です。

 

戦前・戦後の日本映画界を代表する二枚目スターでした。

 

松竹でデビューし、『有りがたうさん』『愛染かつら』などの主演で人気を博した人物です。

 

晩年は、名バイプレイヤー(脇役)として、幅広い作品に出演しました。

 

家庭では、厳格で厳しい父親だったそうです。

 

その一方で、加山さんが映画界デビュー後はアドバイスをするなど、子ども思いの一面もあったそうです。

 

息子・加山さんの大成功で、お茶の間で「父親イメージ」が強くなり、主演の役が減ったという苦労もあったそうです。

 

その後、パシフィックホテルの経営に乗り出し、倒産で巨額負債を追いますが、息子とともに返済します。

 

公式によると、1909年(明治42年)11月7日 で、1991年(平成3年)11月23日(82歳没)でした。

 

母親は小桜葉子(女優・美容家)

加山雄三と母・小桜葉子

母は、小桜葉子です。

 

本名は、池端具子、旧姓は、岩倉具子です。

 

主に戦前に、子役・少女役で活躍しました。

 

1936年に夫・上原謙と結婚(松竹撮影所で出会い)し、1937年に息子(加山雄三)出産したタイミングで、女優を引退し、家庭に入ります。

 

戦後は、美容・健康法の小桜式整美体操を考案して、実業家的に全国に教室を展開しました。

 

当時は、テレビ出演や著書も執筆するなど積極的に活動しました。

 

加山さんにとって、最愛の人物だったそうです。

 

公式によると、1918年3月4日 – 1970年5月12日(52歳没、子宮頸がん)でした。

 

早すぎる母との死別の数か月後に、パシフィックホテル倒産という不幸が重なりました。

 

曾祖父(母方)は岩倉具視

【写真】岩倉使節団(欧米視察団)の団長

曾祖父(母方)は、岩倉具視です。

 

歴史の教科書でも有名な、幕末・明治維新の立役者です。

 

公卿(旧華族)出身で、岩倉使節団(欧米視察団)の団長を務め、日本の近代化に大きく貢献しました。

 

旧500円札(1958-1971年発行)の肖像ともなった、歴史上の偉人です。

 

なお、加山雄三さんの母(本名・岩倉具子)は、岩倉具視のひ孫にあたる人物です。

 

そのため、加山さんからみて曾祖父(おじいさんのおじいさん)は、岩倉具視です。

 

この関係はNHK「ファミリーヒストリー」でも明らかにされています。

 

【岩倉具視との血族関係】
  • 岩倉具視(1825-1883)曾祖父
  • 岩倉具定(具視の息子)曽祖父
  • 岩倉具顕(曾孫世代)祖父
  • 小桜葉子(岩倉具子、ひ孫、1918-1970)
  • 加山雄三(玄孫、1937年生まれ)本人

 

岩倉具視は、神奈川県・茅ヶ崎に別荘を構えて、晩年にここで暮らしていたようです。

 

その影響もあってか、子孫の一部はこのエリアで暮らしていたようです。

 

まとめ

加山雄三 実家  」「 加山雄三 両親  に関して、

Newsサイト、SNS、独自のデータベースなどを活用して徹底調査しました。

調査結果

  • 「加山雄三」さんの実家は、戦前戦後を代表する俳優一家

  • 父は名俳優・上原謙、母は女優出身で実業家として成功した小桜葉子

  • 母方の先祖は、明治維新の重鎮・岩倉具視で、由緒ある名門血統
  • 幼少期は茅ヶ崎の海沿い豪邸で育ち、慶應義塾高校・大学卒のエリート経歴

  • 両親が経営したホテル倒産で大きな借金を背負い、家族で返済した苦労の一面も

本日も最後までご覧いただきありがとうございました。

 

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Posted by DB金持ち