ジャイアント馬場の年収は?全盛期は3億円超!収入源や資産額【2025年】

ジャイアント馬場(プロレスラー) 年収
と検索する方が多いようです。
- 全盛期の年収、最新の年収
- 年収の内訳や収入源
- ギャラや報酬を他の人と比べると
…..などが気になる方が多いようです。

そこで今回は、以下の調査内容について詳しく調べてみました。
調査内容
- ジャイアント馬場 プロフィール
- ジャイアント馬場 年収情報
- ジャイアント馬場 収入源情報
- ジャイアント馬場 資産額
ジャイアント馬場 プロフィール
ジャイアント馬場 さんのプロフィールは以下の通りです。
| 顔写真 | |
|---|---|
![]() | |
| タレント名 | ジャイアント馬場 |
| 生年月日 | 1938年1月23日 |
| 出身 | 新潟県 三条市 |
| 職業 | プロレスラー |
ジャイアント馬場 年収・収入
ジャイアント馬場 さんの年収・収入は、
推定 12414 万円(1.24 億円) です。
日本人の平均年収の 約 31.0 倍 稼いでいます。
また、同業界プロの平均年収よりも稼いでいます。
| 年収比較表 | |
|---|---|
(単位:万円) | |
| 推定年収 (’1993) | 平均年収の何倍 |
| 12414 万円 / 1.24 億円 | 約 31.0 倍 |
ジャイアント馬場 全盛期の年収

【写真】 プロレス全盛期を支えたスター選手

ジャイアント馬場さんの全盛期の年収は、3億円以上です。
当時はプロレスが地上波のゴールデン枠で放送されていた時代で、高視聴率を取っていました。
必然的に人気プロレスラーが高額納税ランキングの上位に食い込んでいた時代です。
1960年代に人気を築き、1970年代には「 アントニオ猪木 」とともにプロレス全盛期を支えています。
馬場さんはスター選手であるだけでなく、全日本プロレスリングを立ち上げた重役です。
試合のギャラだけでなく、役員手当て、グッツなどからの収入、テレビ出演料など、興行の多くを分配されていたようです。
関係者によれば、毎月馬場さんに現金で支給される給料袋は、縦に立っていたそうです。
また、当時のプロ野球界の最高峰『王貞治さんや長嶋茂雄さんが年俸3千万円、4千万円』だったのを見て、おかしくて笑いが出てしまった」との逸話があります。
馬場さんの稼ぎは、スポーツ選手として並外れていたようです。
関連記事 アントニオ猪木の年収は?全盛期はスポーツ部門NO.1!収入源や資産額【2025年】
※ 猪木選手も全盛期(1983年)は、スポーツ長者番付で首位に
長者番付でランクイン

【写真】ジャイアント馬場の最終試合@1998年
【 ジャイアント馬場 (プロレスラー)さんの推定年収 】
- 年度 / 順位 / 年収額 (万円)
- 1992 / 18位 / 11466
- 1993 / 18位 / 12414
関連記事 高額納税額 (1983年~2004年)
※ 自治体から公表されたデータに基づいています
納税記録によれは、1992年、1993年の個人収入は、推定1億円超えです。
馬場さんはプロレス団体を立ち上げた経営者です。
法人名義で自身の報酬を受け取っていたようで、全盛期(70年代)は、納税番付では下位でランクイン圏外でした。
92年、93年(54~55歳)の頃なので、主に団体からの役員報酬などでしょう。
馬場さんは生涯現役(引退宣言はなし)でしたが、試合数は、年間数試合でした。
馬場さんは、数十億円規模の資産を築き上げました。
ピーク時の年収は、数億円規模(3億円説あり)となったことは、間違いありません。
お金に関するエピソード
ジャイアント馬場さんは、お金に関する豪快なエピソードが多くあります。
真偽性に関しては不明ですが、ネット上から集めてきました。
- 馬場正平のプロ野球時代の月給は5万円、プロレス入り後は1試合3万円でした※週刊誌
- プロレスラーとしてアメリカ遠征時代は、一試合のギャラが7000ドル。
- 「契約金160000ドル、年俸最低保証270000ドルの10年保証」であったが、その好条件を蹴り日本へ帰国
- アメリカ時代は1試合で2万ドル(当時の日本円で約700万)※本人のコメント
- 「(1972年当時) 馬場さんは間違いなくキャッシュで30億以上は持ってました」※元プロレスラーの前田日明氏のYouTubeチャンネル内
ジャイアント馬場 資産額

(写真) プロレス界の巨人であるジャイアント馬場

ジャイアント馬場さんの推定資産は、40億円 (没後の報道では、8億円と公示※ ) です。
日本を代表するプロレスラーとして知られ、多くの試合で活躍したレジェンド選手です。
また、プロレス団体の共同設立者であり、後進の育成にも力を入れました。
長年のプロレスラーとしての成功と団体運営によって、相応の財産を築いたと考えられます。
なお『全日本プロレス』で得た収入は、元子夫人が社長をしていた『ジャイアント・サービス』の利益になるようにしていました。
そのため、見かけ上の資産公示(個人資産)は、8億円という金額でした。
個人の資産として扱うのではなく、会社の資産とすることで、節税することが可能なためです。
『ジャイアント・サービス』の資産価値は数十億円規模で、それが築き上げてきた資産と考えてよいでしょう。
ジャイアント馬場 金銭感覚は堅実

【写真】ジャイアント馬場さんはケチという論争
ジャイアント馬場さんは、金銭感覚が堅実です。
一部では、ケチとの見方もされています。
プライベートでは、時計や靴、土地や物件のように資産価値があるものを買うのが好きだったそうです。
(金遣いの面でも)破天荒であるアントニオ猪木さんとは対照的で、堅実派だったそうです。
また、食事以外には、お金をあまり浪費しなかったようです。
「猪木さんは金を使うことが好きな人で、馬場さんは金を使うことを忘れた人だった」とその金銭感覚は対象的でした。
深謀遠慮の人物といったイメージが、お金の使い方にまで現れていて、大きな資産を築き上げました。
まとめ
調査結果
- ジャイアント馬場(プロレスラー) さんの年収・収入を調べました!
- 全盛期の年収は3億円以上。90年代も1億円前後の役員報酬あり。
- 収入源はプロレスのギャラ、役員手当、グッズ収入、メディア出演。
- 推定資産額は40億円。個人ではなく、会社にお金を貯めていた。
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よくある質問(FAQ)
- Q1. ジャイアント馬場の全盛期の年収はいくらでしたか?
- A1. ジャイアント馬場さんの全盛期の年収は推定3億円以上とされています。プロレスラーとしての出演料に加え、全日本プロレスの経営者としての報酬やグッズ収益、メディア出演料など多岐にわたる収入があったためです。
- Q2. ジャイアント馬場の年収はいつがピークでしたか?
- A2. 納税記録によると、1992年に約1億1466万円、1993年には約1億2414万円を納税しており、この頃が年収のピークとされています。ただし、法人名義での収入が多く、実際の手取りはさらに高額だった可能性があります。
- Q3. ジャイアント馬場の主な収入源は何でしたか?
- A3. 主な収入源はプロレスの試合ギャラ、団体経営による役員報酬、グッズ販売、テレビやCM出演料、興行収益の取り分などです。特に団体運営を通じた収益が大きかったとされています。
- Q4. ジャイアント馬場の資産はどれくらいありましたか?
- A4. 推定資産額は40億円とも言われています。ただし、没後の公示では8億円とされており、資産の多くを法人で管理していたことが節税・運営面で影響していたと考えられます。
- Q5. ジャイアント馬場はお金遣いが荒いタイプでしたか?
- A5. いいえ、非常に堅実な金銭感覚の持ち主でした。高級時計や不動産など資産価値のあるものにお金を使い、浪費は避けていたと言われています。「金を使うことを忘れた人」と評されたほどです。










ディスカッション
コメント一覧
全日本プロレスやジャイアント馬場はケチで有名です。
主催者の馬場が、所属選手にタニマチとの個人的な付き合いや、選手が勝手にテレビ番組やCMへ出演したり、雑誌のインタビューを受けることを禁止していました。
またグッズのロイヤリティーは一切選手に還元されなかったようです。
販売するビデオに関しても、内容(2~3試合収録)のわりに強気の値段でした。
裏ではかなりお金を貯めこんでいたそうです。
巨額を稼ぎながらも、私生活では極端にケチだったことで有名です。
海外遠征時、タクシー代を節約するため、空港からホテルまで歩いたという話が複数あります(荷物はキャディバッグごと引いて)。
偉人の年収 How much?というNHKの番組によれば、
ジャイアント馬場さんの55歳の時の年収が当時の額で9千万円、現在の価値で1億円だったそうな
第一線を退いた後は、設立したプロレス団体の重役として高収入を得ていた