「 金田正一(プロ野球) 」年収はいくら!収入源や内訳などを調査【2025年】
2024年9月1日
「 金田正一(プロ野球) 年収 」
と検索する方が多いようです。
- 全盛期の年収、最新の年収
- 年収の内訳や収入源
- ギャラや報酬を他の人と比べると
…..などが気になる方が多いようです。
管理人
【 金田正一(プロ野球) 】さんの年収はいくら位なのでしょうか?
そこで今回は、以下のポイントについて詳しく調べてみました。
調査内容
- 金田正一(プロ野球) プロフィール
- 金田正一(プロ野球) 年収情報
- 金田正一(プロ野球) 収入源情報
「 金田正一 」のプロフィール
「 金田正一 」さんのプロフィールは以下の通りです。
顔写真 |
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タレント名 |
金田正一 |
生年月日 |
1933年8月1日 |
出身 |
平和町 |
職業 |
プロ野球 |
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プロフィールトピック
■ 金田正一 さんの経歴
金田 正一は、愛知県稲沢市生まれ、名古屋市北区出身のプロ野球選手・監督・解説者・評論家・実業家・タレント。
■ 金田正一 さんの経歴
金田正一(かねだまさいち)は、享栄商を中退して50年8月国鉄入団。そこから30試合に登板。8勝をマーク。翌51年に早くも22勝。初めは制球力に欠けたが、プロ野球ナンバーワンのスピードボールと大きなカーブでここから実に14年連続20勝以上をマーク。65年巨人移籍、69年、通算400勝の金字塔。この年自己最多の31勝で2回目の最多勝(計3回)。最優秀防御率3回。最多奪三振10回。沢村賞も3回受賞。完全試合を57年に達成。
通算日本記録は奪三振(4490)最多連続イニング無失点(64回1/3)、最多完投(365)、最多投球回(5526回2/3)など多数。打力もよく通算38本塁打。69年引退後は73~78年ロッテ監督。74年にリーグVと日本一に。90年ロッテ監督に復帰、91年まで務める。88年殿堂入り。通算成績944試合、400勝298敗、4490奪三振、防御率2.34。
「 金田正一 」の年収・収入
「 金田正一 」さんの年収・収入は、
推定 3353 万円(0.34 億円) です。
日本人の平均年収の 約 8.4 倍 稼いでいます。
また、同業界プロの平均年収よりも稼いでいます。
年収比較表 |
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推定年収 (’1977) |
平均年収の何倍 |
3353 万円 / 0.34 億円 |
約 8.4 倍 |
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収入トピック
■ プロ野球選手の年収・収入事情(日本)
プロ野球選手の年収や収入事情は、選手の実力や人気、所属するリーグやチームなどによって異なります。以下は一般的な傾向と例ですが、具体的な数字は時期や選手個人によって変動する可能性があります。
- プロ契約の種類:
- メジャーリーガー(MLB): MLBは世界的な舞台であり、トップ選手は高額な契約を結ぶことができます。トップ選手は複数年契約で数億ドルの契約を締結することもあります。
- NPB(日本プロ野球): 日本のプロ野球選手の年収は、一線級の選手であってもMLBに比べると低めですが、トップ選手は数億円以上の年収を得ることがあります。
- 選手の実力や人気:
- チームの中で重要な役割を果たすスター選手は、他の選手よりも高い年収を得ることが一般的です。
- 人気選手はスポンサーシップや広告収入などで、年棒以上の収入を得ることができる場合があります。
- 契約期間やキャリアーの長さ:
- 一般的に、契約期間が長いほど、安定した収入が得られます。
- 長期間にわたって一定の成績を収めプレーし続けることで、選手は経験や実績を積み重ね、収入を増やすことができます。
- ポジション:
- 投手は通常、他のポジションよりも高い年収を得る傾向があります。特にクローザーやエース級の投手は高額な契約を結ぶことがあります。
- スポンサーシップや広告収入:
- 人気選手は、スポーツメーカーや企業とのスポンサー契約や広告出演によって、追加の収入を得ることができる場合があります。
【写真】平均年棒は、40年間で8倍以上増大
日本のプロ野球界に限っていれば、2023年時点では、平均年収が約4500万円と年々高まってきています。1980年時点では、平均年収が600万。一流選手の年棒も、5000万円程度でした。そこから選手会の年棒交渉も重なり、初めて年棒1億円を越えたのが、1987年の落合博満選手です。三冠王を2度とったことでようやく実現しました。
スーパースターの王選手、長嶋選手であっても1億円の壁が存在していたことからも、近年になってスポーツ選手の地位と待遇が向上し、高額年棒化が進んだことは明らかでしょう。
2023年現在では、年棒トップ10に入る選手の年棒は、3.5億円以上です。またプロ野球の歴代最高年俸は、田中将大投手の9億円です。1億円プレイヤーは、10人に1人の割合で存在しているため、昔のプロ野球選手からみれば、今のプロ野球選手の高額年棒は羨ましいでしょう。
「 金田正一 」の年収推移
【写真】長嶋茂雄さん、金田正一さん、王貞治さん
管理人
金田正一さんの年収推移をお知らせします。
金田正一さんの年棒範囲は、300万円~3800万円です。
プロ生活20年間で3億150万円。平均すると1500万円です。
金田さんは17歳でプロ入りし、プロ1年目から驚異的な成績を収め、引退までに史上最多の「400勝投手」などの記録を持つレジェンドです。
最高年棒は1968年(35歳)の頃に3800万円。現代の野球選手の年棒で計算すると想像もつかないほど高額である可能性があります。
1970年代の野球界では、平均年棒が300万円にも満たなかったことを加味すると、金田選手は厚待遇だったようです。
※ 1970年代後半の王選手が、5000万円。長嶋選手が4900万円。当時のプロ野球界の2大スター選手であっても、億を越えるような年棒を得ることはありませんでした。1960年代後半で3000万円を超える年棒がいかに高額であるかが分かります。
納税額に基づいた推定年収
【写真】ロッテ監督をつとめる金田正一さん
【 金田正一 (プロ野球)さんの推定年収 】
- 年度 / 順位 / 年収額 (万円)
- 1976 / 5位 / 3628
- 1977 / 9位 / 3353
関連記事 申告所得額 (1975年~1982年)
※ 自治体から公表されたデータに基づいています
金田正一さんは、1977年に高額納税者リストにランクインしています。
当時の推定年収は、3300万円~3600万円です。
主な収入源は、監督としての年棒とメディア・広告出演料でしょう。
金田さんは、1972年からロッテの監督に就任。1979年まで務めています。
新人監督1年目の年俸は2400万円。巨人・川上哲治に次ぐ金額で新人監督として異例の好条件でした。
金田さんは、タレントとしてもメディア出演していたため、副収入もあり年収は、3000万を超えていたようです。
監督辞任後はロッテ球団に非常勤取締役に就任。フジテレビ(1979年 – 1981年)・ニッポン放送(1979年 – 1983年)、日本テレビ(1981年 – 1989年)で解説者を務めたほか、
1978年に日本プロ野球名球会を設立し、1981年からは代表取締役を務めていました。
まとめ
調査結果
- 「 金田正一(プロ野球) 」さんの年収情報を調べてみました!
- 最高年棒は、1968年に推定年収は3800万円です。
- プロ野球選手の年収は選手の実力や人気で変動していました。
- 監督時代にも3000万円を超える収入を申告。
- 収入源は監督やタレント活動から得たもので、副収入も豊富。
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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【 注意 】執筆時時点での情報です。一部信憑性の低い情報も含みます!【 参考資料 】Wikipedia / 全国高額納税者名簿 / 各種週刊誌 / 職業別 平均年収 厚生労働省 /他省略‥
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コメント一覧
今や1億円プレーヤーなど当たり前になった日本球界。もしも、昭和を代表するレジェンド選手たちが現在の日本球界でプレーしたら、いくら稼ぐのか!?
当時は月給での表記が多いが、この号の中で金額がはっきり出ていたのは、村山の30万円、中日・江藤慎一の25万円。 別格は国鉄の金田正一だ。