収入トピック
■ プロ野球選手の年収・収入事情(日本)
プロ野球選手の年収や収入事情は、選手の実力や人気、所属するリーグやチームなどによって異なります。以下は一般的な傾向と例ですが、具体的な数字は時期や選手個人によって変動する可能性があります。
- プロ契約の種類:
- メジャーリーガー(MLB): MLBは世界的な舞台であり、トップ選手は高額な契約を結ぶことができます。トップ選手は複数年契約で数億ドルの契約を締結することもあります。
- NPB(日本プロ野球): 日本のプロ野球選手の年収は、一線級の選手であってもMLBに比べると低めですが、トップ選手は数億円以上の年収を得ることがあります。
- 選手の実力や人気:
- チームの中で重要な役割を果たすスター選手は、他の選手よりも高い年収を得ることが一般的です。
- 人気選手はスポンサーシップや広告収入などで、年棒以上の収入を得ることができる場合があります。
- 契約期間やキャリアーの長さ:
- 一般的に、契約期間が長いほど、安定した収入が得られます。
- 長期間にわたって一定の成績を収めプレーし続けることで、選手は経験や実績を積み重ね、収入を増やすことができます。
- ポジション:
- 投手は通常、他のポジションよりも高い年収を得る傾向があります。特にクローザーやエース級の投手は高額な契約を結ぶことがあります。
- スポンサーシップや広告収入:
- 人気選手は、スポーツメーカーや企業とのスポンサーシップ契約や広告出演によって、追加の収入を得ることができる場合があります。
(写真)平均年棒は、40年間で8倍以上増大
日本のプロ野球界に限っていれば、2023年時点では、平均年収が約4500万円と年々高まってきています。1980年時点では、平均年収が600万。一流選手の年棒も、5000万円程度でした。そこから選手会の年棒交渉も重なり、初めて年棒1億円を越えたのが、1987年の落合博満選手です。三冠王を2度とったことでようやく実現しました。
スーパースターの王選手、長嶋選手であっても1億円の壁が存在していたことからも、近年になってスポーツ選手の地位と待遇が向上し、高額年棒化が進んだことは明らかでしょう。
2023年現在では、年棒トップ10に入る選手の年棒は、3.5億円以上です。またプロ野球の歴代最高年俸は、田中将大投手の9億円です。1億円プレイヤーは、10人に1人の割合で存在しているため、昔のプロ野球選手からみれば、今のプロ野球選手の高額年棒は羨ましいでしょう。
■ 納税額に基づいた推定年収
【 原辰徳 (プロ野球)さんの推定年収 】
- 年度 / 順位 / 年収額 (万円)
- 1980 / 16位 / 3910
- 1981 / 2位 / 11737
- 1982 / 1位 / 17266
- 1983 / 3位 / 20748
- 1984 / 1位 / 18042
- 1985 / 3位 / 13431
- 1988 / 17位 / 7185
- 1993 / 12位 / 13977
- 1998 / 17位 / 7185
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高額納税額 (1983年~2004年)
※ 自治体から公表されたデータに基づいています
原辰徳さんは、1998年に高額納税者リストにランクインしています。当時の推定年収は、7185万円です。
1980年ドラフト1位で巨人に入団。契約金がもらえた関係もあり、この年からすでにランクイン。また翌年以降も、ランクインしています。原選手の年棒が1億円を超えるのは、1993年になってからです。1年目にして新人王を獲得したことでメディアが注目。高額なスポンサー契約やメディア・広告出演など副収入の面でプロ野球選手の年棒を上回っていたようです。
■ 原辰徳さんの年棒(野球選手時代)
【年度 |球団 |推定年俸】
- 1981 | 巨人 | 840万
- 1982 |巨人 | 1440万
- 1983 | 巨人 | 2700万
- 1984 | 巨人 | 4300万
- 1985 | 巨人 | 3870万
- 1986 | 巨人 | 3870万
- 1987 | 巨人 | 3870万
- 1988 | 巨人 | 6000万
- 1989 | 巨人 | 6600万
- 1990 | 巨人 |8000万
- 1991 | 巨人 |9400万
- 1992 | 巨人 |9900万
- 1993 |巨人 |1億2500万
- 1994 | 巨人 | 1億1500万
- 1995 | 巨人 |1億1500万
原辰徳選手は、「若大将」としてジャイアンツの4番を張っていました。新人王1回、打点王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞2回、MVP1回の名選手です。近年の一流選手の高額年棒を基準にすると、思ったより年俸額は多くない印象ですが、時代的には1億円を超えれば超1流プレーヤーと言われていましたから、当時としては数少ない高額年俸選手でした。
■ 原辰徳さんの年棒(野球解説者・キャスター時代)
(写真)メインキャスター時代
原辰徳監督は、1995年にプロ野球選手として、現役引退。1996年からは、NHK野球解説者、スポーツ報知野球評論家へ就任。
プロ野球中継解説の他、NHK総合テレビの『サンデースポーツ』でメインキャスターを1998年10月まで務めました。
1998年からは、巨人の一軍野手総合コーチに就任しプロ野球界復帰するまでは、TV局との年間契約で推定年収は、3000万~5000万だとされています。
■ 原辰徳さんの年棒(野球監督時代)
(写真)原辰徳監督
原辰徳さんは、監督時代に就任13年間はほぼAクラスで、8度のリーグ優勝。日本一も3回達成しています。監督通算勝利は1162勝。2019年シーズンに通算1,000勝を達成し、リーグ優勝も果たしました。ただ2022年から臨んだシーズンでは連続4位となり、責任をとって3年契約の2年で辞任が決定しました。
監督としての年俸は、2015年に1億6,000万円でした(当時の12球団の監督で1位)。その後の年俸も同水準と思われます。選手時代の年棒を越える額ですので、監督時代の方が稼いでいた可能性が高いです。
■ 原辰徳さんの近年の主な仕事
2001年シーズンオフの10月11日、勇退した長嶋の後任として巨人の監督に正式就任して、2023年シーズンまで指揮を執っていました。
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